トランスジェンダー議論:生物学的性別とジェンダーについて
この記事を読む前に理解して欲しいのは、性別不合で悩み通院し、最終的に性別適合手術を受ける人がいることです。
性別不合とは、『性自認と生物学的性別が一致しない』ことであり、それを医学的に表した言葉です。
(WHOは、性同一性障害を『精神障害』の分類から除外し、性別不合(gender incongruence)に変更しました。)
LGBTQ+は、性的指向つまり恋愛対象に関する概念となります。
性別不合がLGBTQ+として扱われるのは、自分の『性自認と生物学的性別の不一致』を受け入れていればトランスジェンダーとして扱われるからです。そのことに対してネガティブな感情をもっている場合、性別不合と診断されることがあります。
社会の中で、LGBGQ+に対する理解が浸透してきていると感じています。
しかし、現在も社会的偏見やハラスメントなどを恐れ、悩んでいる人もいるのではないでしょうか?
この記事で、LGBTQ+全体を議論の対象とすると完全にテーマがずれてしまいます。
ここでは、『LGBTQ+の”T”、つまり、トランスジェンダー』を扱った記事となります。
トランスジェンダーという大きな課題ついて、我々は真剣に議論すべきだと考えています。
しかし、トランスジェンダーと社会の議論が進んでいないにもかかわらず、性急に制度を変更する試みには大きな違和感を感じています。
この課題に対してどれだけ深く議論したか公表もされないまま、司法判断が出ているケースがあります。
言い替えると、司法が小数の人の意見を尊重し、多数の人に苦痛を与えてしまうケースがあると考えています。
その違和感とは、生物学的性別とジェンダーを同じ区分で議論していることです。
私達は、生物学的性別とジェンダーは別に扱うべきだと考えています。
トランスジェンダーに関する議論で、フェミニストを自称する人が「女性と自認する人は誰でも女性になれる」と主張しました。
その時、議論相手から「私も女性になれますか?」と質問すると、そのフェミニストの方が「貴方は性別不合ですか?違うなら、なれません」と応えました。
この会話から、下記の2つを考えて見ました。
ひとつめは、性別不合(Gender Incongruence)についてです。
大辞林では”不合”とは、『一致しないこと。合わないこと。』と説明されています。つまり、性別不合とは、性別が一致しないことを指し、性自認と生物学的性別が一致していない症状ということが理解できます。
そして『性自認』こそが『ジェンダー』を指す言葉だと理解できます。
『一般社団法人 日本女性心身医学会』のサイトでも『自分の産まれ持った身体の性(生物学的性別)と、心の性(性自認)が一致しない状態のことをいいます。』と記載されています。
ジェンダーとは心の性(性自認)であり、生物的性別とは別の性になります。
ふたつめは、「女性と認知する人は誰でも女性になれる」と言いながら、「それは、性別不合の人でなければダメだ」と言ったことです。
この相反する回答に、議論相手は「どうすれば、外からみるだけで、『この人は性別不合の人』だと分かるのですか?」と質問しました。
しかし、自称フェミニストの方は、この質問へ回答することができず話題を変えていました。
このようにトランスジェンダーを擁護する方の主張を聞いていると、理論的で明確なデータは無く、自分達の主張を押し通そうとしてるように感じます。
彼等の理論では、気分次第で女性にも男性にもなれると言うことです。これは、非常に危険なことではないでしょうか?
生物学的女性に与えられた権利がいくつかあります。代表的なことは、トイレ・お風呂・更衣室・スポーツ等があります。
私達が違和感を感じているひとつが、最高裁判所を含む裁判書の判決で、自分を女性と認知する人は、外見はそのまま(手術しなくても)でも女性であると判決を出したことです。
なぜ、生物的性別とジェンダーをごっちゃにし、『心の性が女性だと言うだけで、性別的女性と同じ権利を与える』ことを認めたのでしょうか?
この裁判官達は、子供達がスイミングや体育で着替える際、生物学的男性の教師や生徒が『僕の心は、女性です』と言えば、女子の中で着替えることを認めるということですよね?
温泉や銭湯で、生物学的男性が『私の心は、女性です』と言えば、女性用浴室に入ることを認めるということですよね?
女性の格闘技大会に、性別学的男性選手が『私の心は、女性です』と言えば、大会に参加させるということですよね?(この場合、司法が、生物学的女性が死ぬ危険性もスポーツの一環と認めたことになります。)
女性の他のスポーツ競技でも、生物学的男性選手が『私の心は、女性です』と言えば、どの女性の大会でも出られるというわけですね。(きっと、次々に大会記録が更新されるでしょう)
このようなことからも、最高裁判所の判断には違和感しかありません。
司法は、少数の人達の為に、意図的に多数の生物学的女性を蔑ろにしたしか思えません。
私達は、生物学的性別とジェンダーは別区分とした前提で、議論すべきだと考えています。
その中で、生物学的性別とジェンダーを区別して扱うケースと、同じとして扱えるケースを明確にすべきではないでしょうか。
もちろん、性別適合手術を受けた人達がいることも意識して議論すべきです。
下記は、あくまで例としてあげただけです。実際には、深い深い議論をして解決すべき課題です。
・生物学的性別で区別 ー スポーツ・お風呂・トイレ・更衣室など
・性別適合手術を受けた人達 ー お風呂・トイレ・更衣室など:外見的に問題が無い場合に限る
・生物学的性別とジェンダー性別 ー 通常の社会生活など生物学的性別やジェンダー性別の双方に影響が無いケース
多くのトランスジェンダーの方が、生物学的性別のトイレ・お風呂・更衣室を使用することに強いストレスを感じると聞くことがあります。
この為、生物学的性別とジェンダー性別の双方に不利益が出ないよう議論する必要があります。結果として、男女以外の新しい区分けの追加も可能だと思います。
例えば、お風呂・トイレ・更衣室などは、(生物学的)男性と(生物学的)女性の他に、ジェンダー性別を追加する等です。さらに、温泉などで採用されている時間でのローテションに、ジェンダー性別を追加することが考えれてます。
もちろん、社会も企業も多くのコスト負担が発生するものです。
そのため、何度も言いますが、深い深い議論を行い、よりよい解決策を見いだして欲しいです。
一般の社会では、トランスジェンダーだけではなくLGBTQ+を受け入れることが重要です。
参考:一般社団法人 日本女性心身医学会(2024/02/10)
https://www.jspog.com/general/details_83.html
参考:BBC NEWS JAPAN (2024/02/10)
https://www.bbc.com/japanese/67224466
参考:読売新聞オンライン (2024/02/10)
https://www.yomiuri.co.jp/national/20240207-OYT1T50091/
参考:PRIDE JAPAN (2025/12/08)
https://www.outjapan.co.jp/pride_japan/news/2019/5/13.html
以上
2024/02/11 – 2025/12/09